目の治療と成長記録。1歳11ヶ月放射線治療。
手術前のご飯もお水もストップ中のやえ。
私も一緒に我慢しました。予定より長く待つことになりつらかった、、。
おしゃぶりとタブレット作戦で、なんとかなんとか時間稼ぎをしました。
12回目の局所治療は、右目のみの治療で放射線治療でした。
ルテリウム治療でいつもと違う病棟でしたのでプレイルームが使えませんでした。
隔離された放射線治療専用の個室でした。
手術室も地下にあり、いつもと違う雰囲気で私もやえも緊張しましたが、アンパンマンのマーチを流して下さっていて、少しでも怖くないようにして下さっていてお気遣いに感動しました。
手術後は出血などなく、やえは疲れたのか麻酔の影響なのかわりと寝ていてくれました。
点滴が外れた後も食欲があり安心しました。
※今回も入院食より、コンビニのパンをよく食べました。
隔離された部屋でいつもの入院とは違いましたが、個室という面では色々気にせずのびのびと過ごせたのでよかったです。
退院後2週間程は瞼が腫れていましたが、保育園にも通えて普段通り過ごせていました。
瞼の腫れが引いたあとは、充血してるような赤みが少しありました。
痛みとかはなさそうでした。
子供の回復力って凄いなと思いました。
目の治療と成長記録。1歳5ヶ月〜1歳10ヶ月。
2020年の5月、3ヶ月ぶりの入院。
6回目の局所治療は、左目のレーザー治療でした。右目は治療なし。
※写真は病室で寝てるやえ。うつ伏せ寝が多い。お気に入りのぬいぐるみと一緒に入院。この頃おしゃぶりもまだ大好き。入院中はとくに精神安定にもなっていた。
7回目の局所治療は、左目の眼動注。
※入院食より、コンビニで買ったヨーグルトをよく食べていた。
8回目の局所治療も、左目の眼動注。
※今回も入院食より、私用に買っておいたコンビニのおにぎりをよく食べた。
9回目の局所治療は、左目の眼動注の予定でしたが前回から悪化してる様子がなかったため急遽処置なしとなりました。
※プレイルームのおもちゃのおかげで、やえは入院生活を楽しく過ごせた。
10回目の局所治療は、左目の眼動注の予定でしたが、動脈が上手く見えずカテーテル入れられず治療断念。前回同様、悪化してる様子はないが念のため来月も入院して麻酔した状態で診てもらうことに。もしかしたら次回以降、経過観察に入れるかも。
※包帯ぐるぐる巻きでも、アンパンマンを書いてくれてご機嫌だった。看護士さんのやさしさや気遣いが心にしみた。
11回目の局所治療は、しばらく落ち着いていた右目がまさかの再発していた為レーザー治療。左目は治療なし。
※こんな感じで月1ペースで入院して手術してもらっていました。11回目の局所治療の時点で2020年10月。やえは1歳10ヶ月でした。
目の治療と成長記録。1歳2ヶ月〜1歳4ヶ月。初めての経過観察。
5回の局所治療を続けてきて、初めての経過観察に入りました。
※当時2020年2月です。
午前に外来受診でした。診察内容は、目薬をした後に眼底を診てくれて再発していないかを確認してもらうという内容でした。
前回の治療から変化なしということで、次回も外来のみの予約が入りました。
※2020年3月と4月までの3ヶ月間は月1ペースで外来受診のみの経過観察となりました。
しかし4月の受診での診察で、再発してるかも?ということですぐの4月末に手術入院の予約が入りました。しかし当日微熱が出たため入院が延期になってしまいました。
※次回予約が取れるのが5月半ばになってしまい、期間が少し空いてしまうのでかなり不安でした。
この頃、コロナが流行り出したころで、病院が閉鎖したりした影響で予約待ちの方がいつもより多く大変なことになっていました。
そして1歳2ヶ月〜4ヶ月のやえは、ひとり歩きを習得し、4月の暖かくなってきた頃に初めて外で靴を履いてお散歩しました。
※よだれが多くよだれかけは必須。
食事は、イチゴが大好きでした。
ご飯にすぐ飽きて、投げるようにもなりました。
ボール遊びが好きで、お歌も好きでした。きらきら星とおもちゃのチャチャチャの歌に合わせて手を叩いたり動かしたりできるようになりました。
目の治療と成長記録。月齢11〜1歳
目の局所治療の3回目、4回目もどちらも眼動注でした。月1ペースでした。
4回目の治療での入院中に、1歳の誕生日を迎えました。
※小児病棟の看護士さん達が祝ってくれました。手形足形をとってくれて可愛いポスターをプレゼントしてくれました。
5回目の局所治療は、初めてのレーザーと硝子体注入。
※手術後リカバリー室から戻ってきて飲水飲食がOKになるまでの間は基本的に抱っこ紐で寝かせることが多かったです。
この頃も2回目の術後の主治医からのお話のときと同様、左目は治療の効果がよくわからないとのことでした。
※不安はありましたが次回は手術なしで様子見ということで初めての経過観察となり、外来のみでの診察予約をしました。
この頃のやえは、つかまり立ちではなくひとりで立てるようになりました。歩くことはできませんでしたが、よくハイハイのスピードが早いと周りのお母さん達から言われていました。
言葉もあまり変化なく、あちゃとかそんなかんじ。
食事は、手づかみで食べるのが好きで、スプーンにも興味が出てきました。食パンの白いところとバナナが好きでした。
目の治療と成長記録。月齢9〜10ヶ月。
目の局所治療の1回目がスタートして、次の治療まで約1ヶ月と1週間、期間がありました。
写真は、2回目の治療のときの、手術した次の日の寝ているやえです。
※9ヶ月の頃です。うつ伏せ寝をよくしていました。
退院して翌日、体調は良かったのですが、手術後右脚だけが冷たくて心配しました。
※カテーテル手術で右脚の太ももの付け根からの動脈を通す方法なので、術後は血流が関係でよくあることらしいです。
この2回目の術後の主治医からのお話のときに、1回目の治療の効果が左目には効果があまり感じられないと言われました。
※かなりショックを受けました。
それから最善の治療方は何なのか、検索魔になった私は、放射線治療をやった方を見つけました。やえもその治療にした方がいいのかを相談したくて、主治医の外来の予約をとり、放射線治療の相談をしてきました。
※結果、今のままの治療を続けていくことを選びました。
この頃のやえは、お座りが安定してきて、つかまり立ちもしっかりしてきました。
言葉は、ねんね、あちゃ、ばぁ、ぶー。
食事は、ミルクをあまり飲まなくなってきていて、離乳食はなんでも食べるけど、お米のおせんべいを食べてるときが嬉しそうでした。
網膜芽細胞腫の治療、抗がん剤治療後はいよいよ局所治療。
初めての入院治療、初めての抗がん剤治療2クールが終わってから約1ヶ月半がたって、主治医による目の治療が始まりました。
※写真は、その期間の間に一度だけMRIをしに病院に行ったときのやえです。この頃から少しづつ抗がん剤の副作用の脱毛がありました。
1回目の目の手術は、水曜日入院の月曜日退院の日程でした。
入院1日目、2日目は手術前の検査、
入院3日目、9時から全身麻酔で手術。術後すぐは麻酔の影響でぐったりでした。
入院4日目、いつものように6時に起きてミルクも飲んでウンチも出ました!
※この頃の8ヶ月頃からほぼミルクでした。
入院5日目、様子見。
入院6日目、退院。
7ヶ月〜8ヶ月にかけて、ずりばいができるようになったり、下の歯が生え始めたり、つかまり立ちができるようになったり、成長がみられて嬉しい時期でもありました。少し遅めですが、離乳食も始めて、にんじんとかぼちゃが好きでした。
主治医による目の手術は、このようなスケジュールでした。眼動注(がんどうちゅう)という手術で、カテーテル手術です。動脈を通ってカテーテルを通すことで目の中に直接抗がん剤を注入できる治療です。
入院〜抗がん剤治療まで。網膜芽細胞腫の治療が始まった日。
娘の病気は目の癌。発覚したのは生後6ヶ月のとき。
娘のやえは2018年生まれの現在3歳です。
病気がわかったのは生後6ヶ月のとき。
写真もそのころのやえです。
※いちおう女の子です♪
娘の病気がわかった日に、病院の待合で泣きながらスマホのメモ機能に書いたこと。それを今でも読み返すと、そのときの心情が蘇ってきます。こちらがそのときのメモです。
やえちゃんの目は、癌だった。
両目だった。
言葉が出なくて、息がとまった。
盲目になってしまうのか、、?
どうしようどうしようどうしようどうしよう、どうしようってなった。
ただ、担当医の先生は事実を丁寧に説明してくれた。
真剣にきいて、理解して、やえにとって最善の治療のことを考えた。
どうしよう、じゃなくて、治療したい、に切り替わった。
一番恐れていた、目を摘出。片目だけだったら覚悟していた。けど、両目の場合の両方摘出は考えてもいなかった。すごくこわくなった。
私の顔をみてほしい。
動物園だって行こうって思ってた。
ぼんやりでもいいから、視力が低くてもいいから、お願いだから見えるやえでいてほしい。。
そんなふうに思っていたら、先生は書面に書いてある摘出の文字にバツをつけた。
先生は言った。
今のところ摘出はしなくても十分治療できる、抗ガン剤治療をしてから局所治療をしていこう、これが最善です、と。
だから私は誓った。
やえちゃんがこうなってしまったことは受け入れます。悲しいけど、受け入れます。
なんでウチの子がって思うけど、受け入れます。だから私は、やえちゃんの幸せのために、何でもする。やえを守る。
このメモを読み返すと、やっぱりそのときのことを思い出して心臓と息が止まるような感覚になります。
そして、この日の病院から自宅まではそこそこ距離があったのですが、タクシーで帰りました。
※待合で泣きながら母親に電話したときにタクシーで帰りなって優しく言ってくれたんですよね、話した内容は全然覚えてないけどこの一言だけめっちゃ覚えてる。
なのでタクシーで帰りました。
タクシーでは、私は、兄に電話をしました。
実は家族でユニバに行く予定がありました。チケットは購入済でキャンセル料が発生する期間に入っていたので、せっかくなら兄家族に譲ろうと思って電話をしました。
※こんな事態でも、キャンセル料払うのくやしい〜とか考えてたドケチ
でも兄の声きいたら、また泣きそうになったので、やえの病気のことはあまり深刻じゃないかんじで明るく伝えている自分がいました。タクシーの運転手さんにも気を遣って泣かないように必死でした。
※なら家着いてから電話すればよかったのに
そして無事に家の前に到着。
タクシーから降りようとしたきに、運転手のおじさんが私に言いました。
「大丈夫ですから!!絶対治りますから!!」
せっかく泣くのを我慢していたのに、最後の最後で大泣き。笑
人生絶望な日に人の優しさを知りました。
※ちなみにこのエピソードは思い出すと泣きそうになるのでひとに話せない笑
以上が、娘の病気発覚した日のお話でした。
娘の病気は、網膜芽細胞腫という小児がんです。現在3歳の娘は、両眼とも温存治療をしています。心配事は耐えないですが、娘と過ごせる毎日がありがたいです。